おさとり

 約2500年前の北インド、釈迦国という国の王子として生まれたお釈迦様は人の世に多くの苦しみがあることに深く悩み、29歳の時に妻も子も自らの身分も捨てて修行の道に入りました。
5人の仲間と6年間に及ぶ厳しい修行の末、衰弱したお釈迦様は村娘のスジャータから乳粥の供養を受け体力を回復したのち菩提樹の木の下で禅定(座禅)に入りました。
5人の修行仲間はお釈迦様の様子を見て修行から脱落したと思って去っていきましたが、お釈迦様は座禅を続け、8日目の朝の明けの明星が輝くころに悟りを開かれたとのこと。
これが今に伝えられているお釈迦様がお悟りを開かれた際のエピソードです。
この菩提樹のもとで座禅をされている間の悟りに至る前のお釈迦様の心の葛藤の様子が様々なレリーフや絵画等になってアジア各地に伝わっています。
お釈迦様が悩まれた生老病死という人生の苦しみはお釈迦様の時代と今と何も変わっていません。
お釈迦様の時代と比べると今はずいぶん長く生きられるようになり、多くの病気も治すことが出来るようになりましたが、人が生まれ老い病を得て死んでゆくという本質的な流れには何も変わりはありません。
どうやったらこの人の世の苦しみから逃れることができるのか?
その答えがつまりお釈迦様のお悟り。
お悟りの内容は、苦集滅道や八正道などとして一般に説かれておりネットでも検索すれば出てきます。ただ、文字で読むとなるほどとは思いますが、なるほどで終わってしまいがちな気がしなくもありません。
お釈迦様がまず悟りの内容を説いたのは、一緒に修行をしてそして去って行った5人の修行仲間でした。
つらい修行を共にしたものだからこそお釈迦様が説かれたことが身にしみてよく分かったのではないかと思います。
お釈迦様の説法を聞いてこの5人の修行仲間はお釈迦様の弟子になりました。
そしてその後の説法を通じて、多くの人々が弟子になってゆきました。
以下比喩として--
水の中で溺れている人に泳ぎ方を言葉で(文字で)伝えてもその人を助けることはできません。
まずは息ができるようにしてやって当面のいのちを助け、そののちに泳ぎ方を手とり足とり教えて同じ水の中でも楽にいられるようにしてあげるのが本当の意味でその人を助けるということではないか--
苦集滅道や八正道は言ってみれば水の組成分析であり水泳の基本概念です。実際の泳ぎはやはり泳げる人に教わらなければ泳げるようにはならないように思います。
お釈迦様には人を心服させる深い人間的魅力があったのと同時に実際の泳ぎを教えるのがうまかった…つまり苦しみの中にともにあってその苦しみに対処する方策を実地に指導するのが上手だったのではないかと私は思います。

2500年を経た今、お釈迦様から始まった仏教は世界に広まり三大宗教の一つとされています。
神という特別な存在を持たない平らな宗教である仏教は、人々の生活や考え方がどのように変わろうとも常に人が生きてゆく指針となり続けてゆくと思います。
さまざまに世の中は動いていきますが、歳晩にあたりしばし心を落ち着け、自らの来し方を顧み、世の中の動きを観じて、新しい年へ備えて参りましょう。
住職記

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